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minikoののほほん生活♪

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私の場合(子宮内膜症) 

私が体験した子宮内膜症&筋腫

結婚前あまりにも体調が悪かったので、内科で血液検査をしたら「鉄欠乏性貧血」という診断を下されました。
その後、定期的に鉄剤(フェロミア)をもらいながら治療してましたが、それと同時くらいにだんだんと、
生理痛(過多月経、激しい腹痛、下痢等)がひどくなっていきました。
内科では「早く婦人科で検査を」と言われていましたが、なかなか重い腰は上がらず。。。

2001年(平成13年)10月、地元の産婦人科を受診。
エコーで見ると筋腫はあるけど3センチくらい、それは直接の影響ではないと言われた。
同時に血液検査と内診をする。
内診の際、当時年令を30才を超えていた私は、看護婦さんに勧められるまま子宮けいガンの検査もした。
次の診察の際、血液検査の結果がでる。
貧血の数値(ヘモグロビン)は1桁台(本来女性の場合11~13ないといけない)
子宮内膜症の数値を示すものは標準値よりもかなり高い数値、3桁を示していました。
そこで、リュープリンというホルモン剤の注射を半年間(最低でも3ヶ月)することと同時に、
貧血の改善を行うことになりました。
4週間ごとに注射する腕(おしりの場合もあります)を替えながらの治療です。
(毎回、同じ側の腕には注射をできないそうです。)

リュ-プリン注射によって、人によって副作用があります。
主だった副作用は、更年期障害のような感じになること。
私の場合は、もともと頭痛もちだったのですが、さらに頭痛を多く感じるようになりました。
それから発汗、治療を始めたのは冬に入る頃(10月)だったんですが、冬だっていうのに、ものすごい
汗をかきました。
仕事してても、制服が汗でびっしょり~って事がしょっちゅうでした。

それ以外はですね~ちょっとむくみがひどくなったというか、体重が増えました。
(当時、ピコにはこのせい(リュ-プリン)で太ったと言ってますが(笑))
一気に3キロですか・・・(汗)増えました。
あとは、ほとんど普通の生活してました。だって、あの痛い生理痛から逃れられているんです。
当時、この時期は生理のない生活がすごく楽で嬉しくて、仕事もバリバリとやってました。
残業なんて、もうこっちから積極的にやってましたよ(笑)
ちょうど会社も決算やらなんやらでちょうど忙しい時期と重なったこともあって、2~3ヶ月は、
休日出勤を含めて残業時間が50時間を超えてましたね。

2002年(平成14年)春。半年間のリュープリン治療が終わり、貧血の数値も2ケタ、
内膜症の数値もほぼ正常に戻った。
5月になって久しぶりの生理が来た。
久々だからかな~?と思ったが、相変わらず出血が多い。
すぐに病院へ、先生は「う~ん、おかしいなぁ~」と言いながら、2週間ごとに飲むようにと
漢方薬「芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)」(あと1つは確認します!)を処方された。
しかし、相変わらず鉄剤は手放せなかったです・・・(涙)
リュープリンは、半年以上の治療ができないからしばらくお休み。
半年後に様子をみて、また治療を再開するかどうか決めるというこで・・・

たしかに、漢方薬の利き目は割とよかったです。ですが、生理痛(腹痛)は相変わらずで・・・(--;)
仕事の方も生理の2、3日目は必ずといっていいほど休んでましたね。
もう出血(過多月経)がひどくて、夜用のナプキンを昼間も使用してたけどそれが1時間ともたない。
あ、危ない!って思った時にトイレに駆け込んで、出血を落とした方がよかった。
だからホント・・・仕事にならないのです。
有給もそんなことで使ってばかり(生理休暇は撤廃されていたので)でした。
出勤してたら制服とかも汚してしまう可能性大だったから、やっぱり仕事を休むしかないんですよね~
ホント、この時の生理痛は辛かったです・・・(涙)

そして半年後の9月、先生と相談の結果、再度リュープリンの治療をすることになりました。
そしてこれが、壮絶な過多月経の始まりになるとは~
この時はまったく思ってなかったのです。
前回の楽な治療の事があったから今回も大丈夫だと思ってました・・・




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